GW中は、そのA奄美大島編
GW後半は、家族で奄美大島、加計呂麻島に出かけました。今回も、青森同様、主人が4月に一人で奄美・加計呂麻に出かけて、すっかり気に入って、ひと月もたたずに再度私たちを連れての旅となったのです。
もともと、奄美は私の昔からの友人の家があって(彼女の家は鹿児島にも徳之島にもあり、今は鹿児島に暮らしている)彼女から色々な話を聞いていたのですがなかなか行く機会に恵まれませんでした。主人が急に行くことになって、彼女に連絡を取り、ガイドの方を紹介していただきました。そのガイドの女性たまちゃんは、京都出身なのに奄美に惚れ込んで移住(いわゆるIターン)してしまったのです。今回もそのたまちゃんにガイドをお願いしました。空港に迎えにきてくれたたまちゃんは、京都出身というより、南方の美人という雰囲気。
奄美に着くなり、主人のリクエストで鶏飯を食べに行きました。奄美ではどこのお店に入っても鶏飯は定番メニューにあるようですが、鶏飯専門店というのもいくつかあって、それぞれに人気があるようです。まずは、元祖と言われている「みなとや」さんに。
お皿に、細く割いた鶏ささみ、錦糸卵、甘辛く味付けた椎茸、ミカンの皮の粉末、しょうが、ねぎ・・が具として供されて、温かいご飯にその具をのせて、熱い鶏のスープを上からかけていただきます。「スープが濃くておいしい」。
帰りにも、みなとやさんから独立したという「ひさきや」さんにも寄りました。どちらもおいしくいただきましたが、ひさきやさんのスープはコクがあるのにすっきりしているという印象でした。むしろ、鶏刺しのレバーがにんにくじょうゆでいただくと、それはもうおいしくて、他の人が食べないのをいいことに私ひとりで平らげました。
鶏の銅像は最近出来たそう 「みなとや」の鶏飯


「みなとや」前にて広がる海 お店の前に咲くまっ赤なデイゴ


「ひさきや」の鶏飯

奄美には、田中一村という孤高の画家の美術館があります。東山魁夷と東京美術学校大の同級生ですが、一村は中退してしまい、奄美まで流れ流れて、大島紬の染色工として働きながら絵を描いていました。ただ、存命中は中央画壇に認められずに、死後に新聞やテレビで取り上げられて一気に人気が出たというような経緯があります。一村の作品には、奄美というイメージが重なり、極彩色のイメージがあったのですが、間近に接した作品は、描かれているのは南国の植物や鳥などですが、墨絵を思わせるようなモノトーンの世界に近いものを感じました。
田中一村美術館


田中一村終焉の地 泥初めの池が

その後は、有形文化財に指定されているという薗家にうかがいました。床が高く、ぐるりと縁側があり、昔の奄美の家のつくりそのままで、100年以上経つという庭には苔むし、奄美の植物が生い茂っています。その昔は、鹿児島からの役人を出迎えてもてなしていたそうです。


奄美の木材を使って木工の作品をつくっているguri工房にもうかがいました。彼らご夫婦も大阪出身ですが、Iターンで奄美に暮らしているそう。パンを焼く石窯をご主人が作っていたり、鶏や山羊を飼って、それを食料にしているそうです。ただ、最後の山羊は名前をつけてしまったら、食べられなくなってしまって、今はペットにしているそう。
琉球松で作ったスプーンをいただきました。黒は、植物染料で染めているそうです。どちらもオイルフィニッシュでしあげてあります。
他にも、ノミ跡のくっきりしたお盆やカッティングボード等があります。
玄米粉のおぜんざいをご馳走になり、おみやげにはスモモ酒や島バナナまでいただきました。
そう、奄美ではかりんとう戦争が勃発しているという話もうかがいました。こちらでいただいたのはおからでできたかりんとう。さすが、黒糖の生産地ならではです。
工房と展示室 お土産にいただいた島バナナ


guri工房のスプーン ペットの山羊と


夜は、西和美さんという島唄の歌手の方の経営する郷土料理のお店に。昼間は別のお仕事をなさっているらしい三味線を弾く男性が現れ、歌い始めるとそれに呼応して相聞歌のようにカウンターの中でお料理を造りながらママが応えます。奄美の方言なので、その意味を教えてくださいながら歌ってくださいました。お客様も上手な方が多くて、自然発生的に歌い始めたり、踊り始めています。肉体に歌や踊りが生きているという感じです。客も全員、太鼓をたたかされたり、踊りを踊らせたりしましたが、受動的に見ているだけでなく、無理矢理でもその中に引きこんでくれることでその文化を味わうことが出来た喜びがあります。息子は三味線まで弾かせてもらったりしました。


泊まった宿は、ビッグマリーン奄美という、オリンピックの選手を初め、数々のアスリートたちの定宿というだけあって、朝食の充実ぶりにびっくりしました。ハンタマをはじめ、ゴーヤなど地元の野菜など地産地消で、地元の調理法等も工夫してありました。高級ホテルの朝食などより遙かに豊かです。

もともと、奄美は私の昔からの友人の家があって(彼女の家は鹿児島にも徳之島にもあり、今は鹿児島に暮らしている)彼女から色々な話を聞いていたのですがなかなか行く機会に恵まれませんでした。主人が急に行くことになって、彼女に連絡を取り、ガイドの方を紹介していただきました。そのガイドの女性たまちゃんは、京都出身なのに奄美に惚れ込んで移住(いわゆるIターン)してしまったのです。今回もそのたまちゃんにガイドをお願いしました。空港に迎えにきてくれたたまちゃんは、京都出身というより、南方の美人という雰囲気。
奄美に着くなり、主人のリクエストで鶏飯を食べに行きました。奄美ではどこのお店に入っても鶏飯は定番メニューにあるようですが、鶏飯専門店というのもいくつかあって、それぞれに人気があるようです。まずは、元祖と言われている「みなとや」さんに。
お皿に、細く割いた鶏ささみ、錦糸卵、甘辛く味付けた椎茸、ミカンの皮の粉末、しょうが、ねぎ・・が具として供されて、温かいご飯にその具をのせて、熱い鶏のスープを上からかけていただきます。「スープが濃くておいしい」。
帰りにも、みなとやさんから独立したという「ひさきや」さんにも寄りました。どちらもおいしくいただきましたが、ひさきやさんのスープはコクがあるのにすっきりしているという印象でした。むしろ、鶏刺しのレバーがにんにくじょうゆでいただくと、それはもうおいしくて、他の人が食べないのをいいことに私ひとりで平らげました。
鶏の銅像は最近出来たそう 「みなとや」の鶏飯


「みなとや」前にて広がる海 お店の前に咲くまっ赤なデイゴ


「ひさきや」の鶏飯

奄美には、田中一村という孤高の画家の美術館があります。東山魁夷と東京美術学校大の同級生ですが、一村は中退してしまい、奄美まで流れ流れて、大島紬の染色工として働きながら絵を描いていました。ただ、存命中は中央画壇に認められずに、死後に新聞やテレビで取り上げられて一気に人気が出たというような経緯があります。一村の作品には、奄美というイメージが重なり、極彩色のイメージがあったのですが、間近に接した作品は、描かれているのは南国の植物や鳥などですが、墨絵を思わせるようなモノトーンの世界に近いものを感じました。
田中一村美術館


田中一村終焉の地 泥初めの池が

その後は、有形文化財に指定されているという薗家にうかがいました。床が高く、ぐるりと縁側があり、昔の奄美の家のつくりそのままで、100年以上経つという庭には苔むし、奄美の植物が生い茂っています。その昔は、鹿児島からの役人を出迎えてもてなしていたそうです。


奄美の木材を使って木工の作品をつくっているguri工房にもうかがいました。彼らご夫婦も大阪出身ですが、Iターンで奄美に暮らしているそう。パンを焼く石窯をご主人が作っていたり、鶏や山羊を飼って、それを食料にしているそうです。ただ、最後の山羊は名前をつけてしまったら、食べられなくなってしまって、今はペットにしているそう。
琉球松で作ったスプーンをいただきました。黒は、植物染料で染めているそうです。どちらもオイルフィニッシュでしあげてあります。
他にも、ノミ跡のくっきりしたお盆やカッティングボード等があります。
玄米粉のおぜんざいをご馳走になり、おみやげにはスモモ酒や島バナナまでいただきました。
そう、奄美ではかりんとう戦争が勃発しているという話もうかがいました。こちらでいただいたのはおからでできたかりんとう。さすが、黒糖の生産地ならではです。
工房と展示室 お土産にいただいた島バナナ


guri工房のスプーン ペットの山羊と


夜は、西和美さんという島唄の歌手の方の経営する郷土料理のお店に。昼間は別のお仕事をなさっているらしい三味線を弾く男性が現れ、歌い始めるとそれに呼応して相聞歌のようにカウンターの中でお料理を造りながらママが応えます。奄美の方言なので、その意味を教えてくださいながら歌ってくださいました。お客様も上手な方が多くて、自然発生的に歌い始めたり、踊り始めています。肉体に歌や踊りが生きているという感じです。客も全員、太鼓をたたかされたり、踊りを踊らせたりしましたが、受動的に見ているだけでなく、無理矢理でもその中に引きこんでくれることでその文化を味わうことが出来た喜びがあります。息子は三味線まで弾かせてもらったりしました。


泊まった宿は、ビッグマリーン奄美という、オリンピックの選手を初め、数々のアスリートたちの定宿というだけあって、朝食の充実ぶりにびっくりしました。ハンタマをはじめ、ゴーヤなど地元の野菜など地産地消で、地元の調理法等も工夫してありました。高級ホテルの朝食などより遙かに豊かです。

2010/05/12(Wed) 09:25:37 | 日記