上野雄次 花がたり vol7
2011年9月4日(日)PM:00〜 2000円(1ドリンク付き)
ゲスト 平間磨利夫(花道家)
上映ライブ映像 「春は幻」後編
上野雄次氏による花生け実演と解説あり
最近、あるカフェを訪ねました。そこには、いつもご主人が生けた美しい佇まいの花があります。しばらく、お話することができました。
「上野さんのは、花ではないと思います」
ストレートな言葉に思わず息をのみ、聞き返しました。
「パフォーマンスのことですか?」
「だけじゃなくて、全部です」
ご主人は、どこかの流派に属したことはないようですが、かつて学んだ先生の教え「花が美しく見えるように生ける」を心がけているそうです。自分の花は表現ではない、自分を出さず花がいかに美しく見えるかを意識しているだけ。それに対して上野さんの花生けは自分を表現しようとしている、それは“花”ではないのだと・・・。
かつて、私もある流派の生け花を習っていたことがあります。それはその流派が代々伝えてきた伝統に則って生けるお稽古事でした。しかし、決められた通りに生けることがだんだん窮屈になり習うのをやめました。上野さんの教室では、何をどう生けても自由です。決まり事などなく、上野さんが口にされるのは、劇的ということ、器を舞台にして、いかにドラマティックな花のある光景を作り出すのかということ。そこでは、自由であるがゆえに図らずも私が求める花は何かと自分に問う機会となりました。
今回のゲストは、平間磨理夫さんです。上野さんと平間さんは、8月23日(火)、中村俊月さんも加えて代官山の「風土Café&Bar 山羊に聴く?」で、即興の花生けライブ。バトルをされるそうです。花を生ける制限時間は5分。お客様の判定を5分でいただき、次の演者が前の花を“引っこ抜き捨て”て自分の花にとりかかるのだとか。私もその場に足を運び、表現と言うこと、花生けと言うこと、私と花と表現と言うことなどに、思いを巡らせてみるつもりです。そして、9月4日には、平間さん、上野さんから改めて、そうしたことのお話をうかがってみたいと思っています。答えは見つからなくも、その端緒は見えてくることを期待しています。
ゲスト 平間磨利夫(花道家)
上映ライブ映像 「春は幻」後編
上野雄次氏による花生け実演と解説あり
最近、あるカフェを訪ねました。そこには、いつもご主人が生けた美しい佇まいの花があります。しばらく、お話することができました。
「上野さんのは、花ではないと思います」
ストレートな言葉に思わず息をのみ、聞き返しました。
「パフォーマンスのことですか?」
「だけじゃなくて、全部です」
ご主人は、どこかの流派に属したことはないようですが、かつて学んだ先生の教え「花が美しく見えるように生ける」を心がけているそうです。自分の花は表現ではない、自分を出さず花がいかに美しく見えるかを意識しているだけ。それに対して上野さんの花生けは自分を表現しようとしている、それは“花”ではないのだと・・・。
かつて、私もある流派の生け花を習っていたことがあります。それはその流派が代々伝えてきた伝統に則って生けるお稽古事でした。しかし、決められた通りに生けることがだんだん窮屈になり習うのをやめました。上野さんの教室では、何をどう生けても自由です。決まり事などなく、上野さんが口にされるのは、劇的ということ、器を舞台にして、いかにドラマティックな花のある光景を作り出すのかということ。そこでは、自由であるがゆえに図らずも私が求める花は何かと自分に問う機会となりました。
今回のゲストは、平間磨理夫さんです。上野さんと平間さんは、8月23日(火)、中村俊月さんも加えて代官山の「風土Café&Bar 山羊に聴く?」で、即興の花生けライブ。バトルをされるそうです。花を生ける制限時間は5分。お客様の判定を5分でいただき、次の演者が前の花を“引っこ抜き捨て”て自分の花にとりかかるのだとか。私もその場に足を運び、表現と言うこと、花生けと言うこと、私と花と表現と言うことなどに、思いを巡らせてみるつもりです。そして、9月4日には、平間さん、上野さんから改めて、そうしたことのお話をうかがってみたいと思っています。答えは見つからなくも、その端緒は見えてくることを期待しています。
2011/08/19(Fri) 08:14:01 | 日記